数日のSNS断ちでの気づき
ツイッターは中学生の時、インスタは専門学校に入学した18歳頃に登録したと思う。
それから10年以上経っているが、開かない日はほとんどないほど、私の日常にいるのがSNSだ。
辞めた理由は、あるツイッターの書き込みを見たくなかったからだ。
その書き込みを見つけた瞬間は、あ。と思った。それが一件じゃなく、二件、三件、、、と同じような意見を複数見つけると、目の前がグラっと揺れる感覚に襲われた。
一気に悲観的になったが、人に相談して慰められたら、そんな気持ちは少しずつ和らいだ。
しかし、スマホにツイッターのアイコンがあると、どうしても怖くなった。
その気持ちから逃れたい一心でツイッターとインスタグラムのアイコンを長押ししばつボタンを押した。アイコンが消えたら少し気持ちが軽くなった。
ツイッターとインスタを辞めて、丸2日間が経ち、気づいたことを記す。
・想像以上にツイッター中毒
これが一番感じたこと。
アニメを見ていてふと飽きた瞬間、トイレや台所での用事を終えふと一息ついた瞬間、知らない言葉を見た瞬間、テレビを見ながら「つまらない」「面白い」など感想を持った瞬間、寝起き、など1日のあらゆる瞬間に私はスマホを握りツイッターのアイコンを探した。
中でも驚いたのが、テレビを見ている時。テレビを見ながら「これ全然面白くないな」と思った瞬間ツイッターを開きたい衝動に駆られた。
以前の私なら「番組名スペースつまらない」で検索をしていただろう。
これは、もしもうちに同居人がいて、つまらなさそうな顔をしていたら「これ、つまんなくね?」と同意を求めて声をかけるのと一緒だ。
それをSNSでやりたいが、自分でツイートするほどのことでもないので、とりあえず検索する。同じ意見を見つけたらニマニマしながら「だよな。」と思う。
これだけのためにツイッターを開き、検索して、スワイプとスクロールを繰り返す。
しかも見つけられなかったら「番組名スペースクソ」など言葉を変えて、検索しなおしただろう。
その番組より圧倒的に私の方がつまらない人間だ。
・他人の生活を知って、私が得る物無し
インスタは、ふとみんな今何してるのかな、と思う瞬間に開きたくなった。
しかし本当の意味での「親しい友達」以外のストーリーズを見て思うことといえば「あー彼氏ね、はいはい楽しそう」「やっぱ派手だな。夜職だもんね」「なんで地元戻ったんだろ、仕事やめたんかな」「自分のブランドねえ…」「配信視聴者10人台って。よーやるわ」とはちゃめちゃに捻くれた考えしか出ないのだ。
この子達より圧倒的に何もしてない私の方が、時間の使い方が下手。
・ツイッターって便利だけど…
後輩が予約してくれたご飯屋さんに行く時、そのレビューや流行っているかなどを検索するためにツイッターを使用したくなった。しかし行くことは決まってるのだ。調べても変に身構えてよくない。
・でもどうしても気になることもある
タイミングもあるが、妊娠中の仲良しの子の近況だけはどうしても気になった。お祝いのメッセージは絶対に送りたいので、インスタだけで出産報告していたら気づけない。センシティブなことをLINEでこちらから聞くわけにもいかず、彼女のインスタだけは見たいな。と思った。
・無くてもそんなに困らない
そのままの意味だ。
慣れたらそんなに辛くない。
まとめ
私は他人のことがどうしても気になるらしい。
あと自分がどう見られるかも気になる。
そんなことをあまりに気にかけすぎる人生はどうかと思った。すぐには治せないせど、もっと好きな本を読んだり、アニメを見たりと、そういうことをインプットする時間を増やしたいとおもった。
SNSを辞めたことで、自分を見つめ直すことができた。仕事柄一切触れない、ということはできないが、デトックスや気持ちの整理にもなるのでプライベートでは定期的にSNS断ちをしたいと思った。